【節分(豆まき)行事】(いいじまルーテル保育園)
立春を過ぎ、年度の終わりが、すぐそこまで迫ってまいりました。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、今回は、「豆まき行事」をご紹介します。あいにく1月末から、インフルエンザが流行り出しました。そこで密集を避けるため、学年ごとに実施することにしました。
豆まきといっても、煎り大豆は使用しません。小さな煎り大豆は、誤飲の恐れがあるからです。ということで、数年前から、ちょっと変わった方法を使っています。
その方法とは…、運動会でもよく登場する玉入れ風の豆まきです。段ボールで作った、大きな鬼の顔をした箱。開いた口の中を目がけて、玉入れの玉を放りこんでいくのです。
段ボールの鬼を載せる台は、跳び箱を使いました。すると子どもたちの年齢に合わせて、簡単に高さの調整ができるというわけです。先生たちのアイデアに脱帽です。
お手製の鬼のお面を被った子どもたち。玉入れ用の赤い玉を手にすると、大はしゃぎで鬼の口に、放り込んでくれました。
小さな子どもたちの心にも、いつの間にか入り込んでくる自己中心な思い。不平不満なども、鬼と一緒に外に追い出せたら、さっぱりして気持ち良いでしょうね。
悪い思いの代わりに、愛や喜び、感謝など、素敵な思いが、子どもたちの心に満ち溢れますようにと祈った一日でした。
大人も子どもも、神さまの前には、何も隠し事はできません。私たち人間に、心をお与えになったのは、神さまです。人の心の中の思いを見通すことなんて簡単。誰の心にも、悪い思いがあるのをご存じです。遠くに永久追放されても、仕方がありません。
けれども神さまは、そんな私たちを慈しんでくださいました。罪を赦されて、ご自分の元で生きることができるようにと、救い主イエスさまをお遣わしくださったのです。
どうか神さまに愛された存在として、お互いを慈しみあいながら、健やかな毎日をお過ごしくださいますように。祝福をお祈りしています。
《論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/
雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/
羊の毛のようになることができる。》(新共同訳 旧約聖書イザヤ書1章18節)
(いいじまルーテル保育園)